インターネット選挙運動解禁と「適切な電子証明書」について

ーなぜ選挙管理委員会からのメールアドレス周知が望まれるかー

要点

  • ネット選挙における電子認証は「容易に偽造できない」だけでは「適切」ではない
  • 候補者とメールアドレスの結びつきをどこかで必ず担保しなくてはならない
  • 選挙管理委員会が最も確実にその結びつきを保証できる立場にある
  • 選挙管理委員会が候補者のメールアドレスを周知することが望ましい

平成25年4月の「公職選挙法の一部を改正する法律」*1成立を受け、インターネット選挙運動解禁(以下簡単に「ネット選挙」)に伴う電子認証の望ましい使われ方についての議論が進んでいます。特に今回新たに作成された、「プロバイダ責任制限法 名誉毀損・プライバシー関係ガイドライン別冊 「公職の候補者等に係る特例」に関する対応手引き」*2では、削除依頼者の本人性の確認のため「適切な電子証明書等により本人が発信したメールであることが証明できる電子署名」が印鑑登録証明書の添付された実印押印文書に相当するものとされました。

これは、これまで「公的な電子証明書」とされていた部分ですが、現時点においては利用可能な「公的な電子証明書」が極めて限定的であり、事実上利用できないとの判断から「適切な電子証明書」と差し替えられたものと理解しています。ネット選挙に伴い、本人性の確認のために電子認証が活用されることは歓迎すべきことですが、本人性の確認のためにはどのような要件が必要とされるか、つまり、なにをもって「適切な」電子証明書とするかについては、あらためて整理・確認されるべきかと思います。*3

「印鑑登録証明書の添付された実印押印文書」が保証しているのは、確かにその文書が本人の意思によって作成されたということです。また、実印を登録した個人の身元についても信頼できる第三者によって確認済だということがわかります。では、押印はされているが、印鑑証明がない場合はどうでしょうか?この場合はそもそも誰の印鑑が押されたのかがわかりません。同様の問題が電子認証についても起こりえることは留意される必要があります。

電子証明書には用途によってさまざまな種類があり、またその審査・発行方法もまちまちです。一般に「証明書」は必ず本人の身元確認をしてから発行されるかのような印象がありますが、かならずしもそうではありません。例えば、電子メールの送信者確認によく利用される S/MIME 証明書の多くは「証明書の所有者と電子メールアドレスが結びついている」ことを検証した上で発行されており、その場合「証明書の所有者の氏名や所属」についてはその検証対象ではありません。

これは多くの場合 S/MIME の利用目的がメールアドレスの詐称防止(と通信文の改ざん防止や秘密保護)にあり、メールアドレスについては別の方法によって予め検証されていることを前提にしているからです。もちろんS/MIME証明書においても、発行対象者の氏名や所属を検証した上で発行されているものもあります。ただし、当然ですがこの場合は「発行対象者の氏名や所属」を確認する方法が信頼できるものでなくてはなりません。

S/MIME に限らず、どのような電子認証方式であっても、インターネット選挙において利用される以上は「本人確認」がかならずその目的の一つとなるかと思います。特に電子メールが利用される場合においては「候補者」と「メールアドレス」の結びつきを保証することが最も重要です。

ところが、この「候補者とメールアドレスの結びつき」を保証することは必ずしも容易ではありません。一般企業向けの証明書であれば、まず企業の実在を検証した上で、その企業の人事部が証明書発行対象である個人の所属及び使用するメールアドレスを保証する、という手続きになります。一方、選挙においては選挙管理委員会への照会なくしてそもそも誰が立候補者本人かという検証をすることは困難かと思います。

一足飛びの話をすれば、選挙管理委員会総務省)が立候補者に対して「公的な電子証明書」を配布する方法が将来検討されるかもしれませんし、コスト等を度外視すればそれが最も確実でしょう。しかし、さまざまな理由で当面それが叶わず、ネット選挙における本人確認に民間認証局の発行する電子証明書を活用することが前提となるならば、候補者が利用するメールアドレスについても*4 選挙管理委員会が候補者からの届出を受けた上でこれを周知する のが望ましいのではないでしょうか。

*1:公職選挙法の一部を改正する法律総務省、PDF形式)

*2:プロバイダ責任制限法 関連情報Webサイトプロバイダ責任制限法ガイドライン等検討協議会)

*3:本ブログはあくまで「ネット選挙における実印押印文書」の代替として「電子証明書」を使う場合の議論ではありますが、対一般有権者に対する候補者の成りすまし対策についても本質的には同じ問題を(ユーザーインターフェースの問題と共に)解決しなければなりません。

*4:「立候補届出書類の様式の改正により、立候補届出の際に、候補者・政党等が各々一のウェブサイトのURLを届け出ることができることとされ、各選挙管理委員会を通じて周知されることとなります」総務省:インターネット選挙の解禁に関する情報)

「警察がISPにTor遮断要請?!」のまとめ

4/23日の私のブログ(警察庁がTorの遮断を要請するという報道について)は多くの方に関心を持って頂いたようで、掲載初日だけで一万件を超えるアクセスがありました。先日報告書も公開されましたので、現状の整理と今後の課題等についてまとめておこうと思います。

  • 4/18掲載記事の対象となった「報告書」は連休明けの5/7に公開されました
  • 「報告書」にはISPに関する記述は特にありませんでした
  • 誤訳された英文記事を参照して書かれた記事及びその翻訳の多くが未修正です

まず、4/18に毎日.jpに掲載された記事の冒頭で:

パソコン(PC)の遠隔操作事件を受け、発信元の特定を困難にする匿名化システム「Tor(トーア)」を悪用した犯罪対策を検討していた警察庁の有識者会議

と記載されている「有識者会議」とは警視庁生活安全局長主催の私的懇談会である「総合セキュリティ会議」を指しています。平成24年度については「官民が連携した違法・有害情報対策の更なる推進について」と「サイバー犯罪捜査の課題と対策について」の2つのテーマで各3回の会議が開催されていまして、各議事録についても都度公開されています。そして5/7にはそれぞれの会議についての最終報告書が公開されました。

このうち Tor 対策についての記述があるのは、「サイバー犯罪捜査の課題と対策について」で、抜粋すると:

Tor を用いて行われる通信を、例えば、下記の手法により技術的に制限することが可能であることから、Tor による通信により被害を受けるおそれのあるサイト等当該サイトの特性に応じ、サイト管理者等の判断によりTor を用いた通信を遮断することとすれば、犯罪抑止の観点から一定の効果があると考えられる。

とあります。効果については別途議論*1があるかとは思いますが、方法だけに注目すれば割と昔から*2いわゆる荒らし抑止に掲示板サイト等で取られてきた処置と変わるところはありません。なので、記事の後段で「業界関係者」が語ったとされる「通信の秘密*3は我々の命綱。要請があっても受け入れられないだろう」という下りとは全く文脈が合わないように感じますし、誤訳の一因はこの「通信事業者が通信の秘密を侵さざるを得ないような要請が警察からある」という前提で質問に答えている部分にあるように思います。

サイト管理者側の判断でアクセスを制限するのと、ISPが通信経路上でこれを遮断するのでは話が全く違います。ただこの違いがなかなか一般の方には説明がむずかしいなあと思っていたところ、はてなブックーマークにある方から「入店拒否と外出禁止くらい違うんだけど」というコメントがありまして、もうこの例えを頂いただけでもブログを書いた甲斐があったというものです。

さて、このへんで解決...であれば良いのですが、残念ながら元々の誤訳記事を元にした海外の記事や論評がいまだに散見されるのは頭の痛いところです。さらには、これら海外の記事の日本語訳*4が数週間たった本日現在も直っていません。

今回のような誤訳や解釈の間違いをゼロにすることは不可能だと思いますが、仮に間違った情報が流れてしまった場合でも、元々の情報が照会可能であればより早い時期(誤報が拡散する前に)に訂正することができます。今回の事例で言えば「報告書」が、報道機関に配布されたのと同じタイミングで一般にも公開されるのが望ましいと考える次第です。

*1:参考文献「多段プロキシによる Tor の Exit ノードの隠蔽について」(NTTコミュニケーションズ

*2:例えば某巨大匿名掲示板の場合2004年頃にはすでにあったようです

*3:日本国憲法第21条 第2項

*4:例えば「日本の警察庁、匿名化ツール「Tor」のブロックをISP各社に要請へ」(産経MSN)

警察庁のTor遮断要請に関する英文記事訂正のその後

昨日のブログで、ある英文記事の翻訳ミスが原因で「日本の警察がISPに対してTorを遮断するよう要請している」という間違った情報が海外に拡散し、また再度翻訳されて逆輸入された...という流れを書かせて頂きました。

思うに、翻訳された記事に違和感があればその原文を確認する、というのは「英語→日本語」の場合には敷居も低いのですが、「日本語→英語」の場合だと海外の方にはなかなか難しいのかもしれません。今回のように、ひと目でわかる翻訳ミスであれば、指摘さえすれば比較的短期間で訂正されるようですので、このブログの読者の皆様も気になった記事は英訳チェックをぜひ。

該当英文記事は最終的に、タイトルが「Correction:」で始まるものに変更され、また、記事末尾には修正個所についての説明文も加筆されましたので、ネット上で引用している方々への説明もかなり楽になったかと思います。

引用元の英文記事が訂正されたということで、次はそれを引用していた海外メディアの話になります。毎日新聞英文室からは、既に BBC、WIRED.co.uk、ZDnetに対して修正を要請し、BBC*1とWierd*2については既に記事が修正されたとのご連絡がありました。

先ほど確認させて頂くと BBC は修正更新の日時について記載があるだけですが、 Wired.uk については、記事末尾に:

[UPDATE 24/04/2013] This article, and its headline, originally stated that the panel's recommendation that "the internet provider industry and other entities" referred to ISPs being asked to block the use of Tor. It has since been clarified that the NPA wishes for individual site administrators to be responsible for blocking Tor users.

との説明付でかなり丁寧な対応。ただし、その日本語訳を掲載しているWIRED.jp*3 の方はまだ修正されていません。

残るZDnetは、「Japanese ISPs to block Tor, users 'guilty until proven innocent'」と、この3つの中では一番扇情的なタイトルなので、ここが果たしてどういう対応をするか気になるところです。

Anonymousを名乗るYouTube*4にも、

UPDATE: Mainichi has corrected their article. ISPs will be helping Site Admin to block Tor. Blocking will not occur at the ISP level.

とのコメントが動画投稿者の名義でアップされており一安心。一方、日本の警察に撤回を求める署名活動*5についてはまだ継続中のようです。

毎日新聞によれば、今後も検索にヒットしたものにはすべて元記事に誤りがあったことを伝えていくとのことでした。ネット上に一旦拡散してしまった誤情報を修正するのは大変な作業です。ただ、今回これだけの速度で誤情報が広まったのは、それが「重大な情報であって、早急に警鐘を鳴らす必要がある」と感じた方々が多数いたからかと思います。それらの方々が、同様な熱意をもって元記事が訂正されたことを伝えてくれるためにはどうしたら良いのでしょうか?今回のような件は、発信元がわからない怪情報などではなく、大手報道機関がきちんと修正記事を参照可能な形で公開しているわけですから、なにか現実的な解がありそうに思えるのですが。

警察庁がTorの遮断を要請するという報道について


まず、事実として

  • 警察庁がISPに対してTorのブロックを要請する、というのは英文記事への翻訳ミスによる誤報です
  • 翻訳ミスがあった英文記事については4/23夜に修正されています
  • 4/18に警察庁の有識者会議*1がまとめたとされる報告書は4/23現在公開されていません

4/18に毎日新聞(毎日.jp)から「警察庁有識者会議:ネット管理者が通信遮断を 匿名悪用で」という報道がありました。(記事タイトルについては4/23夜に「ネット管理者が」から「サイト管理者が」に修正されています)私の所属するインターネット関連事業者団体にも問い合わせがあったようで一時話題になったのですが、その時はむしろその実効性についての意見交換が主でした。日本語の記事はちゃんと読めばあくまで対象は「サイト管理者」ということだったので、それ以上の詳細については警察庁からの連絡(もしくは最終報告書の公開)がないとわからないよね...というのが当初の印象でした。

それが4/23の nikkeibp に掲載された WIRED.jp の記事では、タイトルが「日本の警察庁、匿名化ツール「Tor」のブロックをISP各社に要請(WIRED.jp)」ということで、いつの間にか警察庁の要請先がISP各社になっています。WIRED.jp を辿ってみると、WIRED.co.uk(Japanse police ask ISPs to start blocking Tor)からの翻訳ということで、これはてっきり WIRED.co.uk 側が間違ったのかと思いきや、元々の参照元は mainichi.jp の英文記事ということがここで判明。検索してみると、この英文記事を引用した報道が多数。さらにそれらの報道を元に書かれたブログやTweetがあり、もちろんその多くは否定的な内容でした。YouTube に Anonymous を名乗る声明がアップされたり、日本の警察に撤回を求める署名活動まで始まっています。


SAVE TOR IN JAPAN - Anonymous Responds to ...

なにはともあれ、ということでまずは毎日新聞に電話したのですが、担当部署の回線が塞がっているということで 4/23の午後16時45分頃にウェブのフォーム経由で、英文記事の誤訳についての修正要望を送信。4時間後の同日の午後20時40分に毎日新聞の英文毎日室長より「タイトル及び最初の一文を修正し、該当記事を引用している海外メディアに対しても記事の修正を要請する」旨、メールを頂きました。その返信として、「迅速な対応に感謝しつつも、現状では記事が修正されたことが一目ではわかりにくいので、なんとか(ネット上で引用した際に)もう少しわかりやすい形にしてもらいたい」旨、再度メールで要望を出させて頂きました。*2

今回の一連の流れを通じて、あらためて間違った情報(そしてそれを元にした論評)が伝わる速さに驚きました。18日の報道発表からものの数日で、言葉の壁を何度も飛び越えています。今後、記事やその引用先の情報が修正されても、恐らく世界中の多くの方々には当初の印象が残ったままになってしまうであろうことが、なんとも残念です。海外報道の日本語訳がちょっと変だなと感じたら、可能な限り原文をあたる癖はあるのですが、日本発の報道の英訳にまでは気が回ってませんでした。遅ればせながら、今後はできる範囲で気になる報道の英訳も確認したいと思った次第です。みなさまもぜひ。

ネット犯罪の抑止に Tor の規制が有効か否か、とか、そもそも Tor がどのような仕組みか、等は既に詳しい方々が解説*3されていると思うので少し落ち着いたら私もそちらを参照したいと思います。

*1:総合セキュリティ対策会議 (警察庁)

*2:4/24夜に、タイトルに"Correction:"の文字と、記事末尾に変更箇所の説明が追記されました

*3:警察庁がISPに Torのブロックを要請!?(セキュリティは楽しいかね Part2)